昭和50年05月12日 朝の御理解
御理解 第49節
「信心は相縁、奇縁。」
信心だけの事ではないですけれどもね、相縁奇縁という縁と云う事を思うと実に不思議なものです。確かに是は宗教的に申しますと、袖擦り合うも多少の縁と。矢張り袖擦り合うも多少の縁であります。其処からいろんな物が生まれて来る。良い事になったり悪い事になったり、それを信心させて頂く者はその縁を生かして行くと云う所にね、私とあなたは腐れ縁だと言った様な事を申します。
腐れ縁にしたのでは信心になりません。昨日もある方が、もう私くしはもう家内とは全然合いませんという。成程お宅はやっぱりあなたが白なら奥さんは赤と言った様な感じです、ですから本当にいうたらもう本当に合わんとでしょうね。けれども矢張り縁あって夫婦になっておるのですし、子供までなしておるのですし、ですからね言うならば主人が白なら、家内が赤と言やぁそれこそ紅白に別れて。
何時も合戦をしとらんならん様な感じです。けれどもそこに信心という仲立ちがあって、丁度紅白の境の餅の様に、一重にするトコロに紅白調和の取れた神前に供えても良い様な鏡餅の様な丸いおかげにもなって来る。自分が白だから誰でも白にしてしまわんならん。こんな偏見なこんな小さい考え方はいけません。白だけじゃありません。紅だけじゃありません。世間一般ね様々な色合いの人があります。
その色合いと調和の取れれるあり方と云う物がです、言わば白だけの世界か紅と白の世界がある様に、それから青もありゃ黄もある、緑もあると云う様にです段々どうでも彼方、大きなおかげ受けて貰わんならんのだし、又彼方も大きなおかげを頂いておる頂きたい、又頂かねばと思うておられるのですから、矢張りそいう何色でも受け入れられるだけの寛大さ、いやむしろそこに調和が取れて、素晴らしい色彩が生まれて来るおかげをね、頂かねばいけませんよと言うてお話をした事でした。ね。
合わんからと、合わん所だけを見るともうそれで縁は、折角の縁がね悪い方の縁になって吊りあわざるは不縁の元となると言った様な事になる。だから信心させて頂く者は、どの様な事でも巡りあいというか、その縁というその縁をです、それこそ袖擦り合うも多少の縁としてです、おかげを頂けれる方へ有難い方へと、それを頂いて行く精進だと私は思います。矢張りそこを切って棄てると云う事は惜しい事です、その生かして行く道を私は教祖は教えて下さってあると私しは思います。
奇縁不思議な縁。それが相縁になって行く。昨日ある人から電話が掛かって来た。そこの支部の大祭があるのです。もう今度は支部の人達がもう一杯で、もう今日今度のお供えは鯛は誰々さん、お神酒は誰々さん言う風にです、割合てではないけれども、そう云う風に頂こうと話合いが出来た。そこでそういう話合いが出来てこっちと云う物は、もうどういうお供えをさせて、どういう心掛けでお供えさせて頂いたら、神様に一番喜こんで頂くだろうかと、それを寝ても覚めても思わせて頂く。
もう愈々間近かになってから。寝む時にどうぞお夢の中にでもお知らせを下さる様にというてお願いさせて頂いたら、昨日の朝お夢を頂いた。お願いして寝んだらそのお夢を頂いた。そして確かに何か三宝一台お供えしてるけど何か解らない。そしたらね何処からともなしにその声が聞こえて来た。生臭坊主をお供えせろと頂いた。もう恥ずかしゅうて先生こげな事は、お届け出来ませんけれども、生臭、外の信者さん方は素晴らしいお夢を頂きよんなさる。
或る方はなら、鯛だけ私がお供えしょうと云う事になった。そしたらお夢の中にですねそれこそ小さいまぁ小鯛が二匹、生き生きとして泳いでいる所を頂いた。お夢に。その二匹が一つになって、もうこんな大きな鯛があるじゃろうかと云う様な鯛に変わった所を頂いた。だからその方は大変お金持ちですけどもね、例えば不浄が掛かってははならぬ。それがやっぱ一万円も二万円もというとちっとは不浄が付く。不浄が付かんにしても何とはなしに、誇りがましい心が起こる。
そこでです生きた鯛の言うなら生き鯛、小さい鯛ねまぁそれが五百円か千円とと致しましょうか。そんなら惜しい気も付くまい。勿論誇り気もね、言うならば付くまいね。ああの大きな鯛は私がお供えしたと思うただけでもいけん。本当にさせて頂くのであるから、その小さいね所謂死に鯛のお供えをする気持ちで、しかもその生きたお供えをです、例え万円の鯛をお供えするでも、そう言う小さいお供えをさして頂く様な気持ちで生き生きとしたお供えをせろというお知らせを頂いた。
まあそこの中心になる方達が三人が三人、お供えの事に付いてお知らせを頂いとる、だから他の方はその様な素晴らしいお知らせを頂かれるのに、もう私は人間がこんな風だからでしょう、神様が人にでん話されん、おかしゅうて話されん、何ばお供えしとるじゃ解らんごたるお供え。しかも生臭坊主をお供えしろてんなんてんち、もう本当に親先生恥ずかし事ですけれども、どう云う事でしょうかと云うて電話が掛かって来た。
それはそうーと何か意味は色々御座いますから、まあ電話での事で御座いましたから、今度会うた時にゆっくり話そう、けれども大体こう云う様な事ですというて、まあ本当の事ではないけれども、私くしはその話をさして頂いた。その方は或る教会で熱心に信心しておった。所がそこの先生は一寸女癖が悪か。それで何時もその奥さんと喧嘩と云うたら、りんき喧嘩である。
それでまあいうならば、教会に対する嫌気がさして来た。そこへたまたま合楽の事を聞かせて頂いてお参りさせて頂いたら、まあ言うならば合楽の虜になった様に、熱心にお参りが出来る様になった。先日もそこの教会の大祭の日に、自分は合楽にお参しょる。或る人はそこの教会に大祭にお参りしよるから、まあ彼方のごとあっち参りこっち参りしよったらいかんですよち。私は今合楽にお参りしよるから合楽、とうとう合楽の方へ引っ張って来たと云う様な方なんです。
けどもこの辺の所は私くしは本当に、お互いが頂かねばならんのにですね。例えばなら教会長を信者は、親教会長親先生とこう言うのです。その親先生があげな人で親と思われんと云う様な事で、私はその教会におかげを頂いてもおかげは頂かれないと思うです。そこでです例えば今日の御理解で、いわば相縁奇縁で縁を頂いて、そこにおかげを頂いておったけれども、おかげの頂けない様な縁ならばです、それを奇縁にして相縁を結んで行かなければいけない。言うならばね合楽一本。
神様がはっきりそこに言うて御座る事はね今までの、今度の例えばあんたん所の支部の御大祭はです、私はおかげを頂いて、合楽教会○○支部の支部員として、合楽教会に新たに御縁を頂いて、今までの縁はスッパリ神様へお供えして、新たな縁を結んで頂いて、おかげを頂かして下さいと云う事だと云う訳です。今までの言わば親先生と言うとったけれども、その親先生が言うならば、そうした生臭坊主的な行状があって、もう嫌気がさして、しかも目の当たりりんき喧嘩ども見ておると。
もう愈々嫌気がさしてそれではおかげが受けられないです。だから私くしは信心は相縁奇縁、どういう縁であってもその縁が生きて来る、又は生かされるいやおかげの受けられる縁にして行かなければいけない。私くしはこのお道でいう手続きとか、喧しく言いますけれど、親教会とはどう云う事かというと、自分の心を育てて下さる所だと思うですね。自分の信心自分の心をです、本当に育てて下さる所が私は親だと思います。
だから私は信心はここでお育て頂くんだと云う気になった所が、私は親教会だと思う。そりゃ奇縁があって、どこどこ教会が一番始はおかげを頂いたんだけれども、段々信心を進めて行くに従って師匠が変わって行く。皆さんの場合でもそうです。よりおかげの受けられる、より素晴らしい、よい師匠が見つかったらです、私はそれは敢然としてその師匠に付いて信心の勉強ろするべきだと思いますね。
例えば親鸞上人が次々と、師匠を変えて行かれた様なもんです。そして最後に法然上人との廻り合いになって、それこそ師匠法然が教えられる事が、よし地獄道に例えば繋がっても。さら々いとわんと云う程しの、云わば親子の縁と云った様なものが固く結ばれる事になった訳です。ここでもそうです。師匠大坪の云う事でです、よしおかげを落としてもです、さらさらいとわんと云う様な。
心と心が結ばれなければ、私は本当の宗教的、神縁と言う事にはならないと思うです。しかし本当に神様は今度のその支部の御大祭に、何をお供えするよりも今までの縁をさっぱりとお供えしてしまって、そしてしっかり合楽に打ち込んで信心せよと云う事だと私は。まあそうは申しませんでしたけど、今日始めて聞いて頂いた。今日又参って来て、今日の御理解をその方が頂かれたらです、解られるだろうと思うんです。何のお供えよりもそうでなかったらお前がおかげが受けられんて。
そこんにきね、その心が引っ掛っておったら。自分はどこどこ教会の大体信者じゃったばってん、合楽にお参りしよると、あっちが引っ掛ったらです、引っ掛った所におかげが引っ掛るです スム-ズになって来ないです。合楽を切るなり又は、今まで自分が頂いとった教会を切るなり、どっちか一本にしなければ、そして例えばどう言う様に、嫌な先生であっても、それが本当に好きになるというか、通う様なふうに育てて行こうと精進をするなら私はそれでもいいと思う。
今度の大祭のお供えは生臭坊主のお供えを、しかし神様はそのお言葉と云う物はです、だからね決してお供えと言う物は鯛やら酒やら決まっとらんですね。今度の大祭をしおに、今まで改まろうとして改まられなかった事を、是を本気でお供えさして貰おうと言った様な、私しはお供えの方がもっと素晴らしく神様は喜んで受けて下さると思うですね。信心は相縁奇縁、今日は変わった意味での相縁奇縁を聞いて頂きました。
どうぞ。